ミレニアム通信過去情報
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神にとって強い者を助けるのも、弱い者を助けるのも変わりはない
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1:tomi
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2011/10/28 (Fri) 10:27:40
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ロックフェラーが、ある教派に対して、
「そんなやり方だから、教勢が伸びないのだ。」と言ったのを読んだことがある。
教勢つまり信徒の数である。
信徒の数が伸びれば「成長している」、伸びなければ「成長していない」という判断の仕方は、経営学であって、教会運営とはまったく別である。
経営学は、「数は力」である。
売上高100億円と1千万とはまったく違う。
前者は成功であり、後者は失敗かもしれない。
しかし、教会やキリスト教の場合、このような尺度は通用しない。
なぜだろうか。
「神は数を気にされない」からだ。
神にとって「強い者を助けるのも、弱い者を助けるのも変わりはない」。
神に無限の力があるならば、われわれの側でどれだけの力があるかはまったく問題ではない。
仮にわれわれがなさねばならない仕事が100であるとする。
それに対して5の力しかなくても、神には無限大の力があるから95くらいわけなく出てくる。
聖書が一貫して主張していることは、「人間の栄光ではなく、神の栄光」である。
人間の力で何かが成就したのであれば、神の栄光はかすんでしまう。
神はご自身の栄光をかすませないために、あえて弱い者、貧しい者を選ばれる。
「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです」(1コリント1・28)
それゆえ、われわれの教勢がどうだとか、人数がどうだとか、献金額がどうだとかは、まったく無意味なのである。
そういった目に見えるものに惑わされているようでは、まったく霊的な訓練ができていない。
霊的な訓練によってわれわれは練り聖められていく。
練り聖められると、われわれの考え方は徐々に「神だけに頼る」ようになる。
ロックフェラーのように、神によって見捨てられ、人間的な力を増し加えることが許された人々は、傲慢になる。
「われわれの力でこれを成し遂げた」と誇り高ぶるようになる。
誇り高ぶると、弱い者、貧しい者が、無駄飯食いに見えてくる。
今の世界の金持ちたちが、「世界の人口の95%が邪魔だ」と考えているのは、このように傲慢を放置されたからである。
神によって愛されて訓練されてこないとこういう化け物になるのだ。
われわれは、このような化け物にならずに済んだことを感謝しよう。
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2:
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2019/04/24 (Wed) 17:14:22
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