ミレニアム通信過去情報 1377521

過去の情報を掲示します。

本ミニストリに対して問答無用に反対の立場を取る人々の閲覧を禁止します。このHPはそのような人に向けて書かれたものではありません。個人攻撃をするつもりはいっさいありません。もっぱら霊的な利益を受けようとする心の柔軟な人々のために公開されている私的スペースです。

皆様のサポートを感謝いたします。
http://www.path.ne.jp/~millnm/support2.htm

メルマガ
http://groups.yahoo.co.jp/group/millnm/post

戻る

わいせつな書き込みを禁止します。「また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」

宣伝禁止!!(礼儀をわきまえろ)


われわれが唯一奉じるべき宗教は、三位一神教である

1:tomi :

2011/11/14 (Mon) 13:16:17


多神教ではダメだと思うのは、日本の高度な文明を維持できないと思うからだ。

日本の文明は、ヨーロッパのキリスト教文明の恩恵を多大に受けており、絶対に無視できない。

近代科学を無視して、日本古来のものだけでやっていくなどということができないのと同様に、近代科学を成立させた理念を無視して日本の文明を理解することなど不可能である。

ヨーロッパは、キリスト教に支配されていた時代において、科学を発達させることができた。しかし、キリスト教から離れつつある現代において、それは、次第に野獣化しつつある。

アメリカもヨーロッパも、魅力を失いつつある。なぜか。キリスト教を失ったからだ。

80年代にマドンナやプリンスが登場した頃から、欧米の音楽に何か嫌なムードを感じた。

まず同性愛のにおいを感じた。

そして、マドンナという存在そのものに何かバビロンの大淫婦のようなイメージを感じた。

考えてほしい。

ヨーロッパという名前は、エウロパから来ている。

エウロパは、起源をたどると、バビロンの女王である。

エウロパが獣に乗る姿、これが、ヨーロッパの土着の姿である。

つまり、ヨーロッパはキリスト教がなければバビロンなのである。

ヨーロッパでは、進化論や共産主義、ヒューマニズムの登場によって、啓蒙主義がキリスト教を圧倒するようになり、ルシファーの光が、キリストの光よりも強くなった。

それは、ビートルズ以降のアメリカにおいても同様である。

アメリカはもはやクリスチャンの影響が感じられない国になった。

このヨーロッパとアメリカの両者において、次第にキリスト教の影響力が弱まると同時に、バビロンが顔を表し始めた。

反キリストの勢力の象徴は、「獣に乗った大淫婦」である。

かつて悟りを与えられたがその後堕落した女が、その悪知恵を用いて粗暴な獣をコントロールする。

つまり、イスラエルと異邦人の連合体である。

ユダヤ宗教家や指導者たちとピラトが結託してイエスを十字架につけたように、イスラエルと異邦人の連合体が神の国を攻撃している。

欧州連合の象徴は「獣に乗ったエウロパ」である。

「ウォール・ストリートを占拠せよ」の象徴も「獣に乗った女」である。

だから、われわれは、悪魔がその本性を如実に表し始めた時代に生きている。

欧米は、キリスト教が入る時代の前のあの古典の時代に戻った。

悪霊が強く働くあの野蛮な時代に戻ってしまった。

もしわれわれ日本人の運動も、「多神教に戻れ」のようなものになるならば、まったく意味がない。

正しく批判できていないからだ。

欧米文明のすべてが悪かったわけではない。

欧米は、キリスト教によって多大な恩恵を受けた。

科学が発達した。

その恩恵を日本も受けた。

日本も欧米も、そのキリスト教の恩恵を無視して、古典の時代、未キリスト教の時代に戻るべきだというならば、自殺しかない。

「タライと一緒に赤ん坊も捨てる」ようなものだ。

キリスト教によって、科学には基礎が与えられる。

つまり、「一人の神が創造した一貫した法則によって統治されている宇宙」という前提である。

この一貫性や恒常性を失うならば、普遍的法則を見出すことを目的とする科学は成立しない。

多神教の宇宙では、究極者が多数あるので、その究極者の統治する領域で支配している物理法則とその他の究極者の統治する領域で支配している物理法則が同じであることを前提とできない。

それだけではなく、それらの多元的な宇宙において統一的な法則を見つける科学の作業には価値が与えられない。

多神教においては、バラバラな宇宙が究極の存在のシステムである。

「この多元的宇宙を貫く一つの原理を見つけた」などというと、袋叩きに遭う。

「多元的宇宙は多元的宇宙のままでいい」といって。

一致とか統一とか合同、協力、結束などというものに価値はなくなる。

だから、多神教ではだめなのだ。

多神教の政治システムは無政府主義である。

統一政府にいかなる正当性も与えることができない。

しかし、社会は統一されていなければ混沌化し、統治は不可能なので、無理に統一することになる。

すると、そこでは統一法や統一政府は「存在の原理に反する」違法な存在である。

その社会においては、絶えず分裂への圧力がかかる。

世界観は、

1.存在論
2.認識論
3.倫理

から成立するので、存在論で多神教を選択すると、当然倫理にも影響がある。

つまり、どの宗教を信じるかは実際生活を不可避的に決定してしまうのである。

人間が理性的存在であり、物事を体系的に把握する生き物である以上、宗教は宗教、生活は生活などということは、ありえない。

存在論において失敗する社会は、統治においても失敗する。

多神教の対極にある一位一神教(ユニテリアンやイスラム教など)も欠陥宗教である。

多様性に価値がなくなるからである。

統一、一致、合一だけが究極の価値なので、多様性には常にプレッシャーがかかる。

北朝鮮のように多様であることが許されない政治体制になる。

われわれが唯一奉じるべき宗教は、三位一神教である。

三位の神が契約によって統一されているキリスト教の神だけが「一と多」の問題を解決できる。

三位一神教において、多様性と統一性の両者ともが究極の価値を持つ。

どちらが優先されるということはない。

われわれは、混沌化した現代において、聖書の神に帰るしかない。

それ以外を目指す運動は最終的に失敗する。

賢い道を選択しよう。

  • 名前: E-mail(省略可):
  • 画像:

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.