ミレニアム通信過去情報 1377482

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律法は永続的繁栄のためにある

1:tomi :

2011/12/22 (Thu) 13:22:21


モーセに率いられたイスラエルは、まず紅海をくぐった。

赤い海である。

血の海。

これは、贖罪を象徴する。

贖罪を受けることは、イエス・キリストの契約に入ることを意味する。

その後、十戒を受けた。

つまり、順番は、贖罪→律法である。

だから、モーセが受けた十戒とは、契約の中にいる人間、すでに贖いを受けた人間に与えられたものであった。

ここは、アダムと根本的に異なる。

アダムは、贖罪を受けなかった。

なぜならば、必要なかったから。

アダムは罪を犯したことがなかったので、贖罪は必要なかった。

贖罪を受けないままに彼は律法を受けた。

「善悪の知識の木から取って食べるな」という律法を。

この2つの律法の違いは、

(1)アダムが受けた律法は、贖罪の背景がなかった。

(2)イスラエルが受けた律法は、贖罪の背景のもとにあった。

自動車免許の試験として考えると、

(1)は、本当の試験。試験場で行う試験。合格しないと免許はもらえない。

(2)は、ペーパードライバーが技術を忘れないために受ける技能試験。任意の試験。合格しなくても免許は所持できる。

アダムは、永遠の命か永遠の死かの2つに一つの真剣勝負として律法を受けた。

イスラエルは、たとえ失敗しても永遠の死に至る心配のない律法を受けた。なぜならば、契約の主であるイエスが身代わりに合格してくれたから。(このときまだイエスは誕生されていないが、動物犠牲はイエスを象徴していた。)

じゃあ、なぜ(2)の律法が与えられたのか。

永遠の死に至らないのであれば、律法はもはや不要ではないか、という人がいるかもしれない。

(2)は、契約の民としての生活の規則としての律法である。

地図やカーナビのようなものだ。

それを守ることによって、繁栄と安全が保証される律法。

神のご計画は、この地球を契約の民に支配させることである。

契約の民に支配させることによって、神の主権が全世界で確立する。

これが創造の目的である。

神は、最初から全部造られたのではなく、土台を造られたのである。

土台の上に人間を住まわせ、「人間に」神の主権を確立させたかったのである。

「人間の信仰と労働を通じての世界支配」こそが神の創造の目的である。

その支配のためには、規則がある。

規則を守ることなしに支配は不可能である。

戦争と殺戮によって、人々を不幸にしながら神の国は成長しない。

神の国は、世界をエデンの園(契約的祝福の場)のように変えることなのであるから、その拡大の方法は、あくまでも平和的・調和的・自主的でなければならない。

人間の命を踏み台にして広がるようなものではない。

神はそのような覇権拡大を行う勢力を排除される。

古来、世界帝国はこの間違いを犯した。

「武力によって世界を勝ち取る」というのは邪道だ。

中国は、経済力がついてきて次第に「武力によって日本を取ってしまおう」という考えに変わっているというが、これは、帝国が犯してきた基本的な間違いである。

武力に頼る帝国は滅びる。

「己の肉の腕に頼る者は呪われよ」と聖書にある。

知恵のない者は、自分の知恵に頼る。

神は、われわれに「聖書に記された知恵を求めよ。そうすれば、あなたは繁栄し、勢力を拡大できる」と言われる。

律法は、このために与えられたのである。

われわれが永続的に繁栄するために。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」(箴言3・5)

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