ミレニアム通信過去情報 1365607

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教会はクロウリーのヒューマニズムに毒された

1:tomi :

2012/02/02 (Thu) 15:52:47


既出だが、悪魔教教祖アレスター・クロウリーは、著書の中でこう述べたという。

・汝がしようとすることをなせ。これが法のすべてだ。
・愛は法である。
・すべての男女はスターである。

http://www.popsubculture.com/pop/bio_project/aleister_crowley.html

このメッセージはロック音楽を通じてわれわれの心の中に入っている。

しかし、驚くべきことに、これは、次のディスペンセーショナリズムの教えと一致する。

・クリスチャンはもはや律法には支配されない。つまり、われわれは規則にとらわれない。自分のやりたいことができる。

・法じゃなくて愛だ。法にこだわると律法主義になる。イエスは律法を超越し、愛を実践された。

・あなたはスターだ。あなたは愛されている。あなたは愛されるために生まれてきた。

実質、教会はディスペンセーショナリズムを通じてクロウリーの悪魔教と同じ教えになった。

聖書の教えは次のとおり。

・クリスチャンは神の国の住民であるから、神の法を守るべし。守れなくても、悔い改めて努力するなら留まることができ、永遠の命を相続するが、悔い改めないなら永遠の刑罰を受ける。

・法と愛は両立する。どちらも中心でありどちらかが他方を犠牲にすることはない。イエスは律法を超越して愛されたのではなく、愛のために律法を守られた。もし律法を守る必要がないならば、十字架にはつかれなかっただろう。

・クリスチャンは王である。しかし、同時に神のしもべである。「死に至るまで忠実であれ」と言われた。あくまでも神が中心である。われわれが何かを行ったとしても「なすべきことをしたまでにすぎません。ご主人さま。」と神に申し上げるべきだ。

教会は、クロウリーのヒューマニズムに毒された。

聖めを行うべきだ。

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