ミレニアム通信過去情報 1359138

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日中、日米戦争の真相を知られたくない勢力がいる

1:tomi :

2012/04/24 (Tue) 17:52:55


みなさんは、学生時代に、世界史の授業で日本の現代史を学んだだろうか。

私はやった覚えがない。

アウストラロピテクスとか、縄文時代は長々とやるが、非常に重要な現代史をやらない。

これは、一つの理由として、日教組が日本の対中対米戦争の秘密を隠したいからではないかと思う。

中川八洋氏は、『近衛文麿の戦争責任』(PHP出版)においてこういわれた。

「つまり、戦後の日本には日中戦争の真相が解明されることを恐れた一大勢力が存在していたし、今も根強く論壇やマスメディア界を支配している」と。(20ページ)

この一大勢力とは、共産主義者であろう。

日中戦争は、国民も政府も望んでいなかった戦争である。

なぜならば、「領土が増えるわけでもなく賠償金が入るわけでもなく、ただむやみに青年の命と国民への経済的重圧だけがその見返りだったからだ」。(20ページ)

日中戦争を画策し、遂行させ、ついには、対米戦争にまで引き込んだのは、共産主義者である。

その中心人物は、近衛文麿である。

「日中戦争をなぜ日本はしたのか、日独伊三国同盟をなぜ日本は締結したのか、『南進』と対英米戦争の道をなぜ日本は選択したのか、…などは近衛文麿の墓に道づれにされた。日本の破局を運命づけたこれらすべての決定がなされたときの総理大臣はすべて近衛文麿であって、これらの国家の意志を決定した最高権力者は憲法上も実態においても近衛文麿だけしかいないからである。東条英機は、近衛が敷いたレールの上を走った、近衛の影武者にすぎなかった」(19ページ)

近衛は、共産主義だった。

「もともと近衛文麿は東京帝大(哲学科)をわざわざ中退し、京都帝大(法科)へ入り直しているが、その理由は近衛自身が述懐しているように、『貧乏物語』の著者として著名なあの当代随一の共産主義者の河上肇(兄弟助教授、共産党員、懲役五年の実刑)のもとで学びたかったからであった。それほどまでに近衛は共産主義に傾倒していた」。(90ページ)

京大在学中に共産主義者オスカー・ワイルドの『社会主義の下の人間の魂』を翻訳し、「社会主義ローン」の表題で『新思潮』に発表した。この論文のなかで近衛は、ワイルドの言葉を借りながら、「私有財産制が諸悪の根源であって、財産と貧困の害悪を断ち切るには社会主義を実現するしかない」と主張している。

共産主義者が日本のリーダーになり、革命家であった尾崎秀実をアドバイザーとして、日本を未曾有の災難に引き込んでいった。

当時、日米いずれのリーダーも、スターリンのソ連の利益のために行動していた。

ソ連が一番恐れていたのは、西においてヒトラーから攻め込まれている間に、東においてヒトラーの同盟国である日本からも攻め込まれることだった。

そのために、日本を南進させ、ついには対米戦争に突入させる必要があった。

日本側でソ連救済に動いたのは、2者であった。

(1)「日本をしてソ連との戦争をさせないために、英米との戦争をする」親ソ・共産主義者グループ

(2)「英米との戦争をしたいためにソ連との戦争をさせない」海軍

1941年7月16日、近衛は、北進論を主張した松岡洋祐を外すために総辞職し、後任として南進論者で英米との戦争を望んでいた豊田貞次郎(海軍大将)を外務大臣に起用した。

この総辞職の5日後にフランスからインドシナの権益を奪い、12日後にはサイゴン入城を果たす。近衛は、新しい外務大臣を利用して、日米交渉を完全な決裂へと強引にリードした。

ちなみに、これだけ連合国を怒らせた豊田外務大臣は責任を追及されていない。

ルーズベルトも、ソ連救済のために奔走した。

「1941年7月25日、ヒトラーがスターリンを攻撃してから一か月後、ルーズベルト大統領は、突然日本の提案を無視し、経済制裁を強化した」(George Victor, The Pearl Harbor Myth: Rethinking the Unthinkable (Military Controversies))

Victorは、上記の著書The Pearl Harbor Mythにおいて、1941年夏にルーズベルトの対日姿勢が大きく変化し、日本に対して攻撃的かつ挑発的になったのは、ドイツの対ソ攻撃が原因だと述べている。ルーズベルトは、日本の注意をロシアから引き離し、太平洋と米国に向けようとした。

おわかりのとおり、日米いずれもソ連救済のためにやりたくもない戦争をさせられたのである。

共産主義の首相と、共産主義シンパの夫人を持つイルミナティの大統領によって。

不思議なことに彼らは戦争終結間近に死亡した。

近衛は自殺だった。これで日本の対中対英米戦争の過程を主導した人間からまったく証言が得られなくなった。

そして、不思議なことに日本中がこの問題に触れようとしない。

教育界も、マスコミも。

これは、アメリカも同様だ。

従来の歴史観から外れた意見を言うと修正主義者と呼ばれる。

いずれにおいても、ことの真相を知られることを恐れる勢力がいる。

われわれは、秘密を暴いていかねばならない。

そうしないと、自国の過去について正しい理解が得られない。

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