ミレニアム通信過去情報 1354829

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紀元70年以降世界はまったく変わった

1:tomi :

2012/05/02 (Wed) 01:20:28


現代のクリスチャンは忘れているが、紀元70年以降、世界はまったく変わったのである。

聖書では、それを「古い天地の滅亡と新しい天地の出現」と描いている。

(1)

「だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」(マタイ24・29-36)

「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされ」、「人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来る」というプレ・ミレの人々が、「イエス・キリストの再臨」としている事件は、実は、イエスと同時代に起こるはずであった。

イエスは、「これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません」と言われたからだ。

であるから、これらの天変地異は現代の予言ではない。

紀元1世紀に起こることであると、聖書は証言している。

(2)

「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。」(2ペテロ3・10-12)

この天の万象が焼けて溶けてしまう大事件はいつ起こるのだろうか。

「しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」(2ペテロ3・13-14)

「このようなことを待ち望んでいるあなたがた」、つまり、「ペテロが語りかけている紀元1世紀のクリスチャンたち」が生きている間である。

なぜならば、もしそれが彼らの上に実現しなければ、彼らに空約束をしたことになるからだ。

ペテロは、彼らに「そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません」とすら言っている。

同時代に起こるという前提で語っている。

「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」(2ペテロ3・9)

「遅いと思う人がいるが、遅らせているのではない。もうすぐ成就するから待ち望むことを止めてはならない」と語りかけている。

ペテロの主張は「事態は切迫している」という前提に立っている。

したがって、天の万象が焼けて溶けてしまう大事件は、紀元1世紀に起きるはずのことである。

もしそれが起きなかったとしたら、ペテロは読者に嘘をついたことになり、そのような誤謬を含む文書は聖書に採用されなかったはずだ。

(3)

「今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。」(使徒2・15-20)

聖霊降臨によって、他国の言葉で語りだしたクリスチャンについてペテロが述べた言葉である。

いわゆるペンテコステの出来事である。

この出来事は、ヨエル書の成就だと言った。

「主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる」という預言が今成就したのだと。

だから、われわれは、ペンテコステの出来事において、「太陽はやみとなり、月は血に変わ」り、次に「主の大いなる輝かしい日が来る」と解釈しなければならない。

「え~!聖霊を受けたことが、太陽はやみに、月は血に変わったことと解釈できないでしょう」という人は、聖書を間違って読んでいる。

われわれの常識によって、天変地異を期待するべきではない。

聖書は聖書によって解釈すべきだ。

聖書は、はっきりとペンテコステの出来事こそ、ヨエル書の天変地異の成就だと述べているのだ。

(4)

「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」(1テサロニケ4・13-18)

死んだ仲間のことを悲しんでいたテサロニケのクリスチャンに対してパウロが「復活があって永遠に会うことができるのだから、悲しんではならない」と諭している箇所である。

プレ・ミレの人々が「これから起きる携挙」と解釈しているこの箇所は、実は、「パウロと同時代のクリスチャン」に向けて語られたことであって、現代のわれわれに向けられているわけではない。

しかも、パウロは、「主が再び来られるときまで生き残っている私たち」と述べている。

「携挙が起きるまでわれわれは生き残っているのだ」とパウロはテサロニケの人々に述べているのだ。

プレ・ミレの解釈にしたがってこれがわれわれにとって未来の出来事であるならば、パウロは嘘をついたことになる。

そして、聖書には「外れた預言」が含まれているということになる。

(5)

「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。
まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます」(マタイ16・27-28)

イエスがやって来られるまで生き残っている人々がいると、イエスが言われた。

それゆえ、プレ・ミレの人々が終末と呼んでいるものは、実はイエスと同時代に起こった。

(6)

「rev 1: 1
イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。…
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。
見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。」(黙示録1・1-7)

「彼が、雲に乗って来られる」ことは、「すぐに起こるはずの事」であり、その「時が近づいている」とヨハネは述べた。

すぐに起こる、時が近づいていると言いながら、2000年たっても成就していなければヨハネは偽預言者である。

これらのことは、紀元一世紀に成就したのである。

以上、(1)~(6)を見てお分かりのとおり、聖書では、紀元1世紀にイエスの来臨があり、古い天地が滅亡し、新しい天地が現れたと述べている。

紀元70年にエルサレムの神殿が崩壊し、クリスチャンの体が神殿となった。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか」(1コリント6・19)

神殿は世界の中心であるから、神殿制度が変わったということは、世界が変わったということである。

まさに天地がひっくり返ったのである。

紀元70年を境に、イエスは正式に天地の王となられた。

この世界は、イエスを中心とするニュー・ワールド・オーダーになった。

だから、イエスに逆らう勢力は絶対に勝利できない。

時間とともに神の勢力は拡大し、ついには世界を支配する。

アダムが与えられた「地を従えよ」との命令は、第2のアダムであるイエスにおいて成就する。

もし、この地上がイエスによって征服されないならば、イエスが受肉した意味がなくなる。

あくまでも神の宇宙創造の第一目的は人間による地上支配にある。

その目的が成就するまで、神は着実に計画を遂行される。

政治・経済・芸術、あらゆる領域は、神の秩序の中に組み込まれ、悪魔は放逐され、全世界が聖書にしたがって運営されるようになる。

これは、予定されたことであり、必ず成就する。

われわれは、この神の国建設に参画するために召されたのである。
3:tomi :

2012/05/03 (Thu) 07:00:28


まったく同感です。

現代の教会の問題の多くは、聖書預言を私的に、間違って解釈していることに起因しています。

もしこれらの預言箇所が紀元70年についてであるということがわかれば、教会は、勝利の確信が与えられ、パワーが戻ってくるでしょう。

しかし、このままプレ・ミレの解釈を続けるならば、「反キリストが世界支配し、ハルマゲドンが起こるのは聖書預言だから回避できない。黙って見ているしかない」としか考えることができません。

教会から信仰が取り除かれているので、力が出ません。

サタンが設定した大きな覆いが教会の上にかかっています。

それが取り除かれるように祈ります。
2:inano :

2012/05/02 (Wed) 16:29:35

アーメン。

ヤコブも当時、イエスの来臨がこれから直ぐ起きるからという事で、
当時の聖徒達に忍耐し心を強くするよう言いました(ヤコブ5:8)。
「来臨が近いから、あなたがたは忍耐せよ!」と。
しかし、プレ・ミレの解釈ですとまだ来臨が起きていない訳ですから、
ここの箇所の通りに忍耐し心を強くした当時の聖徒達は、
「起こりもしない事の為に忍耐した」という事になります。
ヤコブは、2000年経過しても未だに起きていない来臨が迅速に起こると偽証した上、
起きもしない事に関して労力を使わせた事になります。
その他にも、新約聖書全体がパウロであれ、ヨハネであれ、ペテロであれ、
来臨と御国到来について、明らかに紀元70年を対象として述べております。

私の父は、プレ・ミレからポスト・ミレに切り替わった時、
「視界を濁らしていたベールが取り払われた」と言っていました。
是非、主が終末論を含めた全ての事柄における闇のベールを取り払って下さいますように。

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