ミレニアム通信過去情報 1363231

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呪いはどんな場合でも悪か?

1:tomi :

2011/12/25 (Sun) 20:04:29


ダビデはおおくの呪いの詩編を残した。

これを「罪」と解釈するのが一般的であるようだが、違う。

ダビデの呪いは、私憤からではなく、義憤から出ているのだ。

地上に義が実現するように、との祈りである。

「呪い」が聖書で禁止されているとすれば、パウロはどうなのか。

「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。」(1コリント16・22)

呪っているではないですか!

自分に対する私的な敵意からの呪いは明確に禁じられています。

それが、クリスチャンとしての自分に対する迫害だとしても。

「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。」(ローマ12・14)

「自分に有害なことをする人だから呪ってください!」と祈るのは間違いです。

しかし、「異端をはびこらせ、人々を惑わしている人々に呪いが下るように」と祈ることまで禁止されていると考えることはできません。

パウロは、次のように述べています。

「しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。」(ガラテヤ1・8-9)

また、「神の国に敵対し、人々を虐殺し、戦争を巻き起こし、金儲けをする人々を呪ってください」という祈りすら禁止されていると考えることはできません。

「小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。『聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。』」(黙示録6・9-10)

「復讐してください!」と祈っている。

その祈りに対して神が次の箇所で裁きを下されたとあります。

「また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。」(黙示録8・3-5)

香は、祈りを象徴する。

香炉を投げつけるという行為は、祈りに応えて裁きを実行するということを意味します。

つまり、神は「復讐を求めるクリスチャンの祈りに応えられる」ということを示しています。

「誰に対してでも、不幸を祈ったり、望んだりしてはなりません」という教えは間違いである。

神の国と義を破壊し、この地上をサタンの世界に変えようとする人間への神の裁きを期待し、祈ることは間違いではない。

イエスは、いちじくの木が実を結んでいないので、呪って枯らされた。

「翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に『おまえの実は、もういつまでも、ならないように。』と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。弟子たちは、これを見て、驚いて言った。『どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。』イエスは答えて言われた。『まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、「動いて、海にはいれ。」と言っても、そのとおりになります。』」(マタイ21・18-21)

聖書において、いちじくの木は、イスラエルを象徴する(ルカ13章、エレミヤ8・9-13)。(前後の文脈[ユダヤ人指導者のイエスに対する敵意]から見てもこの箇所が単なる物理的奇跡の表現でないことは明らかである。)

実を結んでいないということは、神のために役に立っていないということを意味する。

枯れたことは、イスラエルの滅亡を意味する。

つまり、イエスの呪いは「イスラエルが期待どおりに神のために働かないため、滅ぼされた」という意味である。

そして、イエスは、このようなことを弟子たちも行えと言われる。

「あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができる」と。

「いちじくの木になされたようなこと」とは、イスラエルの滅亡のようなことである。

つまり、イエスは、弟子たちに「呪いを下せば、イスラエルを滅亡させるようなことができる」ということである。

山に向かって、動いて海に入れと命令するならば、そのとおりになる、ということも、いちじくの木から考えるならば、比喩ととらえることができる。

山は、いちじくよりもさらに大きく、いちじくを支えるようなものである。すなわち、当時イスラエルの宗主国であったローマである。

当時ローマは7つの山の町と呼ばれていた。
http://www.path.ne.jp/~millnm/no42.html

聖書において海は滅亡を象徴するので、山が海に入るというのはローマへの裁きである。

ここから、イエスは、弟子たちに、「疑わずに信じて祈れば、ローマを滅亡させることすらできる」と暗示しておられる。

もちろん、ローマにいかなる非もないならば別である。

あくまでも、「神のために実を結ばない邪悪な民族や国家への裁き」である。

今日でいえば、アメリカだろう。

戦争を仕掛けて、国々を荒廃させ、多くの人々を虐殺する邪悪な国家である。

このような国が崩壊するように祈ることは、けっして間違いではない。

神は、正義と愛を動機とする呪いを禁止しておられないことがこれでお分かりだろうか。

「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ」
3: :

2019/04/24 (Wed) 16:43:13

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2:tomi :

2011/12/26 (Mon) 16:29:14

呪いはどんな場合でも悪か?の修正版

呪いはどんな場合でも悪か?の修正版です。pdf形式です。

論点があいまいな部分があったのではっきりさせました。

http://tak0719.web.infoseek.co.jp/qanda3/noroiha2.pdf

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