ミレニアム通信過去情報
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私的解釈から離れることが第一歩だ
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1:tomi
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2011/12/31 (Sat) 01:28:56
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歴史上、黙示録の解釈はあまたあったが、パーシャルプレテリズムに立った解釈は、デイビッド・チルトンのDays of Vengence(Dominion Press)だけである。
パーシャルプレテリズムとは、黙示録のほとんどが紀元70年に成就したという立場である。
この立場の根拠は、ヨハネ黙示録が手紙であったということにある。
ヨハネは、その最初に、
「ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。常にいまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から…
その声はこう言った。『あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。』」(1・4、7)
とある。
つまり、ヨハネの黙示録の目的は、紀元一世紀のエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤの教会のクリスチャンに対するメッセージであった。
だから、彼らが理解できないようなことは、この手紙には記されているはずがない。
もし、黙示録が、世の様々な預言解釈者が言うように、2011年に生きている現代人にとって未来の預言であるならば、そのほとんどが当時のクリスチャンにとってチンプンカンプンのことになる。
つまり、そのほとんどが読者にとってあまり意味のないことが書いてある手紙を、身の危険を犯して伝道者は届けたということになる。
これはナンセンスだ。
この手紙は、明らかに当時のクリスチャンに向けて書かれている。
しかしある人はこういうかもしれない。
「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。」(黙示録1・7)
これは、再臨のキリストを世界中の人が見るということではないか、だから、世界の人々に向けて記されている、と。
ここで「地上のすべての諸族(pasai ai fulai)」の諸族と訳されているfulaiという言葉は「イスラエルの12氏族を表す」。
聖書で31回出てくるが、そのほとんどがイスラエルの12部族の回復に関し、使徒、教父時代以降でも、イスラエルの12部族を示す言葉として使用されている(Kittel ed., Theological Dictionary of NT, Eerdman, vol. IX, p249-250)。
反プレテリストは、「地の諸族」はもっと広い意味でしばしば使用されている、というが、文脈を考えてほしい。
「アジヤにある七つの教会へ」「すぐに起こるはずの事を…示すため」(1・1)に送られた手紙において、どうして2000年後の世界のクリスチャンのための話をえんえんとするのか。
明らかに時間と地域を限定されている手紙を、読者を限りなく拡大する根拠はどこにあるのか。
そもそも「すぐに起こる」と強調されながら、それが、実際は2000年間起こらなかったとしたら、「ヨハネの預言は外れた」ということにならないか。
黙示録は、あくまでも契約的書物である。
「イスラエルは、アブラハム・モーセ・ダビデ契約を通じて、キリスト契約の中にいた。つまり、今で言えば、クリスチャンだった。その契約の民となった人々が、あまりにも神の御心から外れた状態になってしまい、ついには、約束のメシアすらも殺してしまった。その契約の民に対する刑罰が近づいている」という時代背景の中で記された手紙である。
この紀元一世紀における切迫した状況の中で、どうして、2000年後の漠然とした終末の話をしなければならないのだろうか。
ヨハネの関心は、イスラエルとローマに下る刑罰、そして、古い天地が滅んで、新天新地が現れるという点にあった。
つまり、当時の世界の人々は、ニュー・ワールド・オーダーの到来を待っていたのだ。
このニュー・ワールド・オーダーは、今イルミナティが期待しているようなものではなく、次のようなイエス・キリストの王国としてのニュー・ワールド・オーダーである。すなわち、
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聖書の預言どおりに、イエスが来られて、「天地の一切の権威を与えられ」た。イエスは、復活され、永遠の命を得られ、その命を信じる人々すべてに付与された。
イエスにつく人々はみな永遠の命を持ち、死ぬことがなく、永遠に世界の王である。
それまで地上を支配していた悪魔の王国は徐々に狭められ、神の国が地上に拡大する。そして、ついには全世界が神の国によって覆われる。
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このイエス・キリストのニュー・ワールド・オーダーの到来こそが、ヨハネ黙示録の執筆テーマであった。
反プレテリスト(つまり、未来派)の解釈では、黙示録における直接の読者(7つの教会)は無視される。
解釈の視点が現代人に置かれ、思い込みと読み込みが幅をきかせ、預言の私的解釈に陥る。
聖書の他の文書だけではなく、いかなる歴史的書物を読む場合の原則は、「直接の読者の視点に立つ」ということである。
源氏物語を現代人の視点から読んでも正しい解釈にはならない。
難解な箇所があれば、まず当時の人々の視点にたって、当時の人々にとってそれがどういう意味を持っていたのかを調べるべきだ。
プレテリズム以外の読み方をしている今の教会は、現代人を騙そうとたくらむロスチャイルドの罠に見事にはまり、ディスペンセーショナリズムを信じるようになった。
私的解釈から離れることが第一歩だ。
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2019/04/24 (Wed) 16:38:55
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