ミレニアム通信過去情報 1363804

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神が望んでおられるのは、安定よりもベンチャーである

1:tomi :

2012/01/04 (Wed) 06:33:33


それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。
彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』
しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません。』と言った。
さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。
さて、最初の者が現われて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』
主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』
主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』
もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。
あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。
だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』
そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』
すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています。』と言った。
彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。
ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」 (ルカ19・12-27)


人生は投資である。

なぜならば、神も投資をされたから。

われわれの存在は神の投資である。

神は、地上を開拓し、利益を生み出すために、われわれを地上に誕生させられた。

「人間は進化の過程で偶然に生まれた者である」というイルミナティの思想が頭に入っているので、現代人は、自分が使命を帯びて生まれてきたことを知らない。

神は、われわれからリターンを求めておられる。

われわれが、どれだけ神の国を拡大し、神の利益になるようなことをしたかによって、評価される。

われわれは、投資家に対して責任を負っている会社の経営者のようなものである。

投資家にとって一番腹立たしい存在は、「何もしない奴」である。

投資した分だけを金庫にしまっておいて、決算のときにそれを差し出して「さあ、これがあなたのお金です。お返しします。」というような経営者は、首だ。

投資の意味がないからだ。

投資をするということは、成功するにせよ、失敗するにせよ、とにかく「挑戦する」ためである。

投資家は、経営者が失敗して、自分の資産を失うことは、リスクとして織り込み済みである。

しかし、何もしないで、ただお金を返された場合は、「おまえ、一体その間何をしていたのか」と言いたくなる。投資の意味がまったくないだけではなく、馬鹿にされた気持ちにななるからだ。

だから、神様の場合も、何も挑戦せずに、無為に時間をすごして、神様から預けられたものをそのまま返すような人間を怠惰者としてだけではなく、無礼者として厳しく罰せられる。

このたとえ話の、最後に出てくる、何もせずにただ預かったものをとっておいて、それを主人に返した人に向かって、主人は、こういった。

「そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』」

儲けもせず、減らしもしなかった人は、「全部失う」のである。

10000円預かった人は、10000円もらえるわけではない。

「えっ、減らさなかったのだから、主人に害を与えなかった。だから、もらってもいいのでは?」と思うならば、甘い。

無為徒食の人は、全部失う。そして、その失った分は、活動して主人に利益を与えた人に与えられる。

だから、神の国とは格差社会なのである。

「だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるの」である。

神の国とは、リスクを冒して果敢に挑戦する人が尊ばれ、無難に可もなく不可もない人生を送った人が軽蔑される世界である。

神が望んでおられるのは、安定よりも、ベンチャーである。

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