ミレニアム通信過去情報 1363118

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契約的合一は神の法と悔い改めを通じて進む

1:tomi :

2012/01/05 (Thu) 15:38:22


契約的合一は汎神論的融合とまったく異なる。

汎神論的融合とは、個性を失って「一つ」になることを目指す。

契約的合一は、個性を維持しながら「一つ」になることを目指す。

すべての宗教の目的は、他者との一体化である。

礼拝とは、一体化の儀式である。

だから、非常にすぐれた礼拝では、神と人間、人間と人間、人間と自然、人間と社会が、完全に調和し、一体化する。

そこに集まった全員が神と他者との一体感に包まれるようなそんな宗教的体験を求めて、礼拝に参加する。

だから、司祭や僧侶、牧師は、人々をそのような体験をさせられるように声を工夫したり、音楽を感情を高めるものにしたり、場合によっては、麻薬を飲ませたりする。

人間をはじめとする被造物の究極的な願望とは、一体化することである。

クリスチャンの目的は、真の神との契約的一体化、同胞のクリスチャンとの契約的一体化、自然との契約的一体化である。

契約的一体化であって、単なる一体化ではない。

契約であるから、神の法を守るときにはじめて成立する。

単なる一体化は神の法など関係ない。

だから、単なる一体化は、野合なのである。

これを象徴しているのが、クリスチャンの結婚と、異教における乱交である。

クリスチャンの結婚において、神の法が前提となる。神の法による秩序こそが結婚の前提である。

異教においてしばしば行われるのが乱交である。

昔、日本においても、お祭りには性的な乱行がつきものであった。

原理も原則もない一体化。これは、実質的に反創造、無秩序化、混沌である。

だから、こういったものは文化の名に値しない。

キリスト教が入るにつれて、ヨーロッパからそういった無秩序な風習は消えていった。

被造物にはすべて、一体化への願望がある。

われわれがコンサートなどに行って、感動の体験をしたいかというと、われわれの本能にある一体化への願望が満たされるからである。

音楽は、これを助ける。

クリスチャンによる神の国建設とは、このような契約的一体を世界中に広げることを目的とする。

われわれが教会に加わるときに、クリスチャンのコイノニア(交わり)に入る。

聖餐は、われわれが一体であることを象徴する儀式である。

だから、礼拝から聖餐を除いたり、スキップするのは間違っている。

礼拝も聖餐も契約的合一を求め、確認するのであるから、ワンセットで行うべきだ。

初期の礼拝は、「パンを割く」ことであった。

初代教会のクリスチャンたちは、「パンを割くために集まった」。

つまり、契約的合一のための集会であった。

異教は、本当の神礼拝への模倣から生まれた。

サタンが提供した偽の礼拝だからだ。サタンは創造できない。模倣しかできない。だから、異教の礼拝は、真の神礼拝の模倣である。

われわれのすべての礼拝、契約的合一の基礎は、神の法である。神の法を守ることを通じて、われわれは、真の神との契約的合一に至る。

罪を犯すことによって、この合一は挫折する。

悔い改めは、合一を回復するためのものである。

「バプテスマを授け、私が命令したことを守るように教え」ることを通じて、神の法を中心に世界が本当の絆で結ばれることこそ、人類の究極的な目標である。

アセンションなるものは、神の法も悔い改めもない合一であり、ニューエイジの異端である。

人類が本当に高次に上昇するには、神の法と悔い改めを中心としなければならない。

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