ミレニアム通信過去情報
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何をどう評価しているかでその人の内実が分かる
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1:tomi
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2012/02/09 (Thu) 06:36:28
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情報そのものにはあまり意味がない。
付加価値は解釈にある。
野菜など食材そのものにそれほど付加価値がなく、料理にそれがあるのと同様だ。
誰が調理するのか。それにわれわれはお金を払う。
だから情報としていくらインターネット上にあるものを集めても、それだけならあまり意味がない。
その情報をどのように解釈して結論を出すかが問題なのだ。
その解釈者の解釈が金を払うに値するものであるかどうかは、その解釈者の実力である。
実力がある人は価値のある解釈を提供できる。
実力者には知恵がある。
知恵は、信仰や学識、専門知識、経験、常識、実践、その他の蓄積によって有機的に育つものである。
そういう背景がなければそれなりの解釈しかできない。人々が判断の参考にできる意見にはならない。
解釈は、与え手も受け手も試す。
知恵がない人間が情報を解釈してもつまらない解釈にしかならないように、知恵がない人間が解釈を読んでも評価できない。
受け手は、自分の力量に応じてしか人の解釈を理解できない。
普段からあまりおいしい物を食べていない人は、天才シェフの味が理解できない。
肥えた舌だけが、本物の料理を理解できる。
それと同じように、肥えた目だけが、優れた解釈を評価できる。
ラッシュドゥーニーの解釈を評価しない人々は、ラッシュドゥーニーの知恵とそれが生じた豊かな知識や学識、経験などの背景を評価できないのである。
だから彼の著作は似非クリスチャンには理解できないのである。
本物のクリスチャンは、自らの思考や体験から彼の知恵を評価する。
天才とは、凡人が見慣れた物のすごさを再発見できる人である、とある人は言った。
優れた解釈があっても、それを評価できる力が自分になければ単なる雑音である。
だからつまらない人間は知恵の言葉に対して怒りを燃やすのである。
「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから」(マタイ7・6)
何をどう評価しているかでわれわれはその人の内実を知ることができる。
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2:
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2019/04/24 (Wed) 16:11:23
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