ミレニアム通信過去情報 1363050

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自己コントロールを働かせて百戦錬磨のツワモノになれ

1:tomi :

2012/04/11 (Wed) 06:22:52


Jesus Campでは、子供たちが異言を語ったり、床を転げまわったり、卒倒したりしている。

これを見て、体験を強調する教えは危険であると思った。

私は、体験を軽視しないが、強調しすぎることもしない。

なぜ体験を強調するのが危険かというと、体験は裏切るからである。

異言も床を転げまわることも、卒倒することも、全部心理学で説明できる。

もちろん、本物の体験もあるだろう。

しかし、こういったしるしや不思議は、訓練次第でできるようになるのだ。

「今日のメッセージはぐっときた」とか「恵まれた」「恵まれなかった」とかが説教を評価する基準になる場合が多い。

もちろん、それは祝福だ。恵まれたら感謝すべきだ。

しかし、説教や礼拝、集会などで恵まれるとか、実存的体験をするとか、奇跡を見たとか、そういうことは、二義的なことである。

大切なのは、「聖書は何を語っているのか」ということだ。

そして、それに合わせて理性的に行動し、結果を主にゆだねることである。

たとえば、よく「僕は救われた気持ちがしないのです」と、なかなか信仰を決心できない人がいる。

「救われてもいないのに、クリスチャンになって、みんなに合わせてクリスチャンのふりをして生きるのがいやなのです。救いを実感したい」と。

このような人は、完全に救いを誤解している。

救いとは、法的事実である。

自分の意思で救いを受け入れて、告白し、洗礼を受けたならば、契約の中に入った。

実感するかしないかは二義的な問題である。

日本に帰化したいならば、しかるべき手続きを経て、書類を整えて審査を受ける。

そして、審査に通って、法務大臣からOKが出たら、晴れて日本人である。

それを「日本人になった実感がわかない」からと、何度も法務省に行って「どうしたらいいでしょうか」と問い合わせても迷惑がられるだけである。

いつまでも自分の犯した罪をくよくよと思い返して苦しんでいる人も、同じように気分中心である。

それは、裁判において無罪判決が出たのに、何度も「どうも無罪になった気がしないのです」と裁判所に通って裁判官に面会を求めても「書類を見てください。あなたは法的に無罪とされたのです」と断られるだけだ。

われわれは、聖書に示されたことを厳密に把握、理解し、そして、それに基づいて行動し、その結果を「聖書的に」受け入れて、それで満足すべきだ。

「罪を悔い改めるならば赦されます」と聖書にあるならば、悔い改めて回心し、あとは忘れることだ。悔い改めは、一発で終わらせるべきだ。

その後は、神の国のために働くこと。

いくらサタンが「お前の後悔は十分ではない。不誠実だ」と責めても無視することだ。

「下がれ、サタン!『神は悔いた心をさげすまれない』と聖書にある!」と一喝せよ。

主観や体験を重視しすぎると、「無限の悔い改め」というサタンの罠にはまって、精神を破壊されかねない。

サタンは巧妙なので、体験を強調するクリスチャンのもとにやってきて、素晴らしい超自然的体験を何度かさせるかもしれない。

しかし、そのうちに次第に自分のテリトリーに入ってきたのを確認したら、惑わしの体験をさせる。

「今までと違う。どうしてだろう。素晴らしい体験ができたのに」と。

突然、神が離れてしまったように感じさせる。

そして、調理が始まる。

四六時中、気分に左右されるようにする。

御言葉ではなく、感情によって左右される人生にする。

しまいには絶望を与えて、自殺に追い込んだり、精神病にしたりする。

サタンの巧妙な手口に陥らないためには、「理性によって自分の感情をコントロールすること」である。

「御言葉はこうある。だから、心配しない!」と決断する。

この訓練を積まない限り、人生のほとんどを感情や、人の評価、世間体、心配などに費やし、自分を失って、他人のための人生に陥れられるのだ。

人間の自然の気質は「悲観的」である。

楽観的になるには意志の力が必要だ。

だから、これは、心のウェートトレーニングなのだ。

自分の判断に頼らず、聖書に頼ること。

この訓練を積んで、サタンの策略に対抗し、百戦錬磨のツワモノになることがわれわれの目標である。

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