ミレニアム通信過去情報
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いつ崩壊するかわからない土台にまだしがみつきますか?
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1:tomi
:
2011/10/28 (Fri) 22:10:03
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2つの土台があるとします。どちらに家を建てますか。
一つは、深さ数キロもある巨大な硬い岩盤であると地質調査でわかっている。
もう一つは、砂地で、地震が来ると液状化することが分かっている。
もちろん前者ですね。
聖書の認識論の土台は、神の自己認識です。
神の三位が互いに対して持ってられる永遠の昔からの知識。神には、ご自身について不明な部分はまったくない。絶対的な知識を持っておられる。
世界が創造される前の永遠の世界において、神だけが存在した。その神だけが存在した状態での知識、この絶対的知識こそがわれわれにとっての認識論の土台である。
つまり、聖書的キリスト教とは、聖書において神が啓示された知識を基準として受け入れる世界観である。
それに対して近代においてライバルとして現れたヒューマニズムは、「人間の認識能力」を土台とする。
しかし、われわれが理解するように、人間は創造主でも永遠の存在でもない。
人間の知識や認識能力は有限であり、宇宙についてはほとんど無知である。
自分の体内において今何が起きているかについても知らない。
自分の性格や能力についても完全には知らない。
そのような無知なものの、不完全な認識能力を土台として据えようとしたのがヒューマニズムである。
現代世界は、このヒューマニズムという宗教によってできている。
だから、現代世界とそこに住む人々は、いつ液状化するかわからない土地に家を建てた人々なのである。
われわれクリスチャンは、聖書という絶対の基準を持つが、彼らは、毎日毎日基準が変化する。新しい科学的発見があると考えが変わる。コロコロと変化し続ける。
だから、不安を払しょくできない。常に怯えている。
自分とその力に頼らざるをえないので、虚勢を張るしかない。
おわかりのように、無理なのである。
ヒューマニズムの世界観に立って生活を成立させることなど無理なのである。
河原に家を建てる人のように、いつ水位が上がるかびくびくしている。
土台がいつ崩壊するかわからないので恐れを抱いている。
こんな不安定なもので生きて行くなど不可能だ。
聖書を基準とし、聖書を前提として生きるべきだ。
切り替えよう。
そして、聖書に挑戦するようなものを、頭の中に入る前に切り捨てよ!
スパっと。
「それは聖書的ではないので、信じません」と。
冷たいと言われようが、頭が固いと言われようが、関係ない。
神の言われた言葉に対して「検討できる」と考えるほうが頭が固いのだ。
なぜならば、検討できないはずなのに、あえて検討するから。非合理主義者の頑固者である。
人生の土台としてふさわしいものに切り替えよう。
そして、平安な心で一生を送ろう。