ミレニアム通信過去情報
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律法は神のカーナビである
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1:tomi
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2011/12/17 (Sat) 23:47:53
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律法とは、原発の燃料棒に似ている。
燃料棒が格納容器がなく、むき出しで人間に接すると人間を殺すように、律法も契約の箱と「贖いの蓋」がなければ、人間を殺す。
旧約では、契約の箱を覗いて見た人々は死んだ。
律法は、あまりにも高い水準であり、それに耐えうる人は一人もいない。
たとえば、「むさぼってはならない」という命令がある。人のものをほしがる心を一瞬でも持つだけで、永遠の死である。
TVでブータンの仏教寺院の様子が映し出されていた。
円筒を回すと功徳を積むことができるとして、人々が円筒に触ってくるくる回していた。
仏教をはじめキリスト教以外の宗教は、基本的に「行為義認」の宗教である。
つまり、功徳を積むことによって救われるとする。
聖書は、「功徳を積んでも救われない」とする。
なぜか。
あまりにも要求レベルが違い過ぎるから。
神の要求するレベルは、「一瞬でも罪の心を持つだけで失格」である。
生まれながらの人間にとって律法は、ただ殺すだけの危険物でしかない。
生まれながらの人間は、人生の中で無数の罪を犯して、積もり積もってついに死に至る。
彼にとって死とは刑罰である。
あまりにも燃料棒からの放射線によって被曝し、ついに許容範囲を超えたようなものである。
神は、人間が死なないために、キリストを受肉させ、人間の姿を取って人生を歩ませられた。
キリストは、完全な人だった。
律法の要求をすべて満たされた。
そして、われわれが受けるべき死を身代わりに受けてくださった。
これは、燃料棒の周りに格納容器を作る行為に似ている。
クリスチャンにとって律法はむき出しで現れない。
格納容器に納められた形で現れる。
そして、それは、電力を作りだして、われわれの生活を助けてくれる。
律法にとっての格納容器は契約の箱である。
われわれクリスチャンには契約の箱に入って無害化された律法が手渡された。
律法はもはやわれわれに害を与えない。
むしろ、律法は、われわれに利益を与えてくれる。
契約の民イスラエルは、契約の箱を担いで、それを中心に宿営を作り、移動した。
それと同じように、契約の民であるクリスチャンも、契約の箱を担いで、それを中心に生活する。
ディスペンセーショナリズムは、「そんな危ない物はクリスチャンと何の関係もない」と忌避する。
律法が無毒化されたことを信じないからである。
律法は、われわれにとって生活の指針であり、地図帳である。現代的に言えば、カーナビである。
律法という神のカーナビがあるから、われわれは目的地に簡単につくことができる。
つまり、繁栄と祝福に至ることができる。
このカーナビのガイドを無視するならば、谷底に落ちて怪我をする。
まとめると、
1.ノンクリスチャン(生まれながらの人間)にとって、律法は有害なもの、殺傷力のあるものである。
2.クリスチャン(生まれかわった人間)にとって、律法は無害なもの、無毒化されたものである。
3.クリスチャンにとって、律法は神のカーナビである。祝福と繁栄に至る道を示してくれる。