ミレニアム通信過去情報
1522791
過去の情報を掲示します。
本ミニストリに対して問答無用に反対の立場を取る人々の閲覧を禁止します。このHPはそのような人に向けて書かれたものではありません。個人攻撃をするつもりはいっさいありません。もっぱら霊的な利益を受けようとする心の柔軟な人々のために公開されている私的スペースです。
皆様のサポートを感謝いたします。
http://www.path.ne.jp/~millnm/support2.htm
メルマガ
http://groups.yahoo.co.jp/group/millnm/post
戻る
わいせつな書き込みを禁止します。「また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。」
宣伝禁止!!(礼儀をわきまえろ)
律法は永続的繁栄のためにある
-
1:tomi
:
2011/12/22 (Thu) 13:22:21
-
モーセに率いられたイスラエルは、まず紅海をくぐった。
赤い海である。
血の海。
これは、贖罪を象徴する。
贖罪を受けることは、イエス・キリストの契約に入ることを意味する。
その後、十戒を受けた。
つまり、順番は、贖罪→律法である。
だから、モーセが受けた十戒とは、契約の中にいる人間、すでに贖いを受けた人間に与えられたものであった。
ここは、アダムと根本的に異なる。
アダムは、贖罪を受けなかった。
なぜならば、必要なかったから。
アダムは罪を犯したことがなかったので、贖罪は必要なかった。
贖罪を受けないままに彼は律法を受けた。
「善悪の知識の木から取って食べるな」という律法を。
この2つの律法の違いは、
(1)アダムが受けた律法は、贖罪の背景がなかった。
(2)イスラエルが受けた律法は、贖罪の背景のもとにあった。
自動車免許の試験として考えると、
(1)は、本当の試験。試験場で行う試験。合格しないと免許はもらえない。
(2)は、ペーパードライバーが技術を忘れないために受ける技能試験。任意の試験。合格しなくても免許は所持できる。
アダムは、永遠の命か永遠の死かの2つに一つの真剣勝負として律法を受けた。
イスラエルは、たとえ失敗しても永遠の死に至る心配のない律法を受けた。なぜならば、契約の主であるイエスが身代わりに合格してくれたから。(このときまだイエスは誕生されていないが、動物犠牲はイエスを象徴していた。)
じゃあ、なぜ(2)の律法が与えられたのか。
永遠の死に至らないのであれば、律法はもはや不要ではないか、という人がいるかもしれない。
(2)は、契約の民としての生活の規則としての律法である。
地図やカーナビのようなものだ。
それを守ることによって、繁栄と安全が保証される律法。
神のご計画は、この地球を契約の民に支配させることである。
契約の民に支配させることによって、神の主権が全世界で確立する。
これが創造の目的である。
神は、最初から全部造られたのではなく、土台を造られたのである。
土台の上に人間を住まわせ、「人間に」神の主権を確立させたかったのである。
「人間の信仰と労働を通じての世界支配」こそが神の創造の目的である。
その支配のためには、規則がある。
規則を守ることなしに支配は不可能である。
戦争と殺戮によって、人々を不幸にしながら神の国は成長しない。
神の国は、世界をエデンの園(契約的祝福の場)のように変えることなのであるから、その拡大の方法は、あくまでも平和的・調和的・自主的でなければならない。
人間の命を踏み台にして広がるようなものではない。
神はそのような覇権拡大を行う勢力を排除される。
古来、世界帝国はこの間違いを犯した。
「武力によって世界を勝ち取る」というのは邪道だ。
中国は、経済力がついてきて次第に「武力によって日本を取ってしまおう」という考えに変わっているというが、これは、帝国が犯してきた基本的な間違いである。
武力に頼る帝国は滅びる。
「己の肉の腕に頼る者は呪われよ」と聖書にある。
知恵のない者は、自分の知恵に頼る。
神は、われわれに「聖書に記された知恵を求めよ。そうすれば、あなたは繁栄し、勢力を拡大できる」と言われる。
律法は、このために与えられたのである。
われわれが永続的に繁栄するために。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」(箴言3・5)