ミレニアム通信過去情報 1473807

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日本人にはあくまでも正統派を貫け

1:tomi :

2012/02/05 (Sun) 22:02:41


福音派にいたころ、「重箱の隅をつつくような、教理に拘泥する頭でっかちの信仰」はだめだ。「幼子のような、純粋な信仰」を求めなければならないとよく言われたものだ。

この偽善的な「信仰」に虫唾が走る。

「重箱の隅をつつくような、教理に拘泥」しない信仰は、信仰ではない。そのような信仰は「幼子のような純粋な信仰」でもない。

なぜだろうか。

神が「律法の一点一画」にこだわるお方だからだ。

「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません」(マタイ5・18)

神ご自身が「律法の中の一点一画」をこの世の何よりも重視しておられるのに、どうしてわれわれがそれを「重箱の隅をつつくような教理に拘泥」する態度として軽蔑してよいだろうか。

こういう「教理への無頓着」こそが、福音派の教会を堕落させ、役立たずにした張本人である。

「教理や教義」、神学に対する軽蔑こそが、教会を滅亡に向かわせている元凶である。

「律法にこだわるな。それは律法主義だ。イエスはもっと寛容であられた。律法にこだわらなかった」というのは、異端の教えである。

イエスご自身が「律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません」と言われたのだ。

聖書の一言一句にこだわらない姿勢から何が生まれるのだろうか。

「預言の私的解釈」である。

神の御心よりも自分の望ましい教えである。

聖書に対する厳格な姿勢は、正統か異端か、教会が神にとって有益な存在になるか、それとも役立たずになるかの分水嶺である。

われわれを指導した牧師たちは、一般信徒の人気を取るために「神学なんて…」と学問を馬鹿にするような態度を取った。

その結果、キリスト教がボロボロになった。

われわれの前の世代のこのポピュリズムが今日の体たらくを作ったと言っても過言ではない。

われわれは、誰に嫌われてもいいのだ。神学が人気がなかろうが、教理にこだわる姿勢が人を教会から離そうがどうでもいい。

そんなので離れていく人間を集めても何にもならない。

しかし、日本人はそういう類の馬鹿ではない。しっかりと見ている。学問を馬鹿にするような民族ではない。

私は、日本においては、学問を尊重する正統的なグループしか生き残れないと思っている。

アジアで唯一ノーベル賞を数多く取ることができ、しっかりとしたものを見極める力のある民族であるから、キリスト教はそれに適したものでなければならない。

他の国のような、踊ったり、卒倒したり、動物の鳴き真似をするような似非キリスト教でごまかすことはできない。

日本人にはあくまでも正統派を貫き、レベルの高いものを提供せよ。

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