ミレニアム通信過去情報
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聖書的キリスト教の救いの正しい理解
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1:tomi
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2012/02/15 (Wed) 08:23:40
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「さて、そこでイエスは言われた。『わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。』」(ルカ24・44)
「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます」(マタイ5・18)
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」(マタイ5・17)
イエスが来られたのは、「聖書に書かれているすべて」を成就するためである。
取り残しはない。
全部成就された。
なぜか。
人間の行わねばならないすべての義務を完全に行うためである。
それは、イエスを信じる人間が、すべての義務を行って永遠の命を与えられるためである。
われわれは自力で神の前に完全になれるだろうか。
ノーだ。
聖書に記されたすべての律法を守ることができるだろうか。
ノーだ。(*)
だから、われわれが救われるには、契約関係に入ることによる以外にはない。
すなわち、イエスの御体であるエクレシアの一部になるという契約を結んでイエスの細胞になることである。
イエスがすべての律法を守り、神の御前にテストに合格したので、その細胞であるわれわれも合格した。
われわれは、イエスとともに、永遠の命を受け、イエスとともに、永遠の相続財産を受け、イエスとともに、永遠に祝福される。
われわれは、絶対に死なない。われわれの体が滅びると即座に新しい「みたまの体」が与えられる。
現在、イエスが「天地の一切の権威を持っている」ように、われわれも天地の一切の権威を持っている。
われわれは神になったのではない。われわれは、人間としてのイエスの一部になったのである。
神としてのイエスの一部になったのではない。
以上が、聖書的キリスト教の救いの正しい理解である。
これ以外の理解は間違いであり、深刻な誤謬に至る可能性があるので注意されたい。
(*)
フルプレテリズムは、この問題を解決するのは、「天地の滅亡」だという。
すなわち、フルプレテリズムは、紀元70年の神殿崩壊を天地の滅亡と考え、これが成就したのだから、「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません」の御言葉は成就したと考える。
「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることは」ない
→
「天地が滅びうせれば、律法の中の一点一画でもすたれてよい」
という理屈だ。
天地が滅び失せた紀元70年に、律法の効果はすべて失われた、と。
紀元70年以降は、人間は律法を破ってもいい、と。
じゃあ、イエス・キリストは不要ということか。
律法に効果がないのだから、イエス・キリストがいなくても人間は裁かれることがない、と。
「野球のゲームで、もう試合が終わったので、どんなにルールを破ってもペナルティは課せられない」のと同じだ。
これが聖書が言う救いなのか?
違う。
聖書の救いとは、次のようなものである。
「紀元70年後も、ルールはある。
律法は有効である。
しかし、その律法を違反した場合の刑罰はすでにイエスが背負って死んでくださったので、信じるわれわれにはもはや刑罰は課せられない。」
刑罰が無効になったのであって、律法そのものが無効になったわけではない。
「わたしが来たのは、…廃棄するためだと思ってはなりません」。
フルプレテリズムは、イエス・キリストによる贖いによる救いではなく、天地が滅びるという環境に救いを求めるので、偶像礼拝なのである。
フルプレテリズムは異端である。