ミレニアム通信過去情報
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心から主に従うことができる道を歩もうではないか
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1:tomi
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2012/02/15 (Wed) 09:09:34
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この世は、イエスが支配しておられるが、しかし、悪魔も支配している。
その構造は、こうである。
ノンクリスチャンは悪魔の手先の契約を結んだアダムの子孫である。
だから、ノンクリスチャンは、悪魔の手先として働く。
その代わりに悪魔からご褒美をもらう。
生活は成り立つ。
ときには、金持ちになったり、この世で優遇されたりする。
しかし、悪魔の帝国の中に住んでいるので、いずれは悪魔に調理され、どん底に落とされる。
悪魔は、最後の最後までだまして利用しようとするから、素顔を絶対に見せない。
われわれの人生が終わる直前に表れて「よくまあだまされてきたねぇ!お前の受けるべき分はこれだ!」と言って、地獄を見せる。
気づいたときには遅い。
この人生で、われわれは、だれかから何度か警告がある。
「そっちへ居ると、いずれ地獄に落とされるよ」と。
自分の心の中でも「おそらくこういうことをやっていれば、永遠の地獄に落ちるんだろうなあ」と気づいている。
しかし、ノンクリスチャンはそういう心のつぶやきをすべて「押し殺す」。
で、見なかったこと、聞かなかったことにする。
だから、地獄に落ちても言い逃れはできない。
死ぬ直前になって、悪友やら罪の仲間たちが実はとんでもない奴らだったと気づく。
自分を裏切り、利益だけ取って逃げていく。
それまでうまくいっていたことがすべて逆回転で回り始める。
自分が「これくらいのことどうってことない」と蒔いた種がすべて発芽して、成長し、自分にとって不都合な問題となる。
結局、刈取りをせざるをえなくなる。
悪魔の支配下にいるというのはこういうことだ。
「後ろ髪をひかれながらの人生」である。
すかっとしない人生。
心から笑えない人生。
イエスは、われわれに正直に生きる人生を与えてくださる。
イエスは、悪魔の上におられるから、イエスに助けを求めるならば、悪魔から解放してくださる。
どうしても悪魔から逃れることができなかったのに、イエスを信じるようになると、逃れることができ、自由になれる。
それまでは、「あの人を怒らせたら食っていけなくなる」と人を恐れる人生だったが、イエスを信じると、次々と道が開けて、人を恐れず、悪人に悩まされない生活が始まる。
だから、良心を犠牲にしなくても生きていける。
「神の国とその義を第一に求め」るならば、「それに加えてすべては与えられ」る。
クリスチャンになっても、仲間が悪いならば、クリスチャンになった意味がない。
その悪いクリスチャンから離れるべきだ。
善良で、神に捧げきった人と友達になり、群れを作りなさい。
クリスチャンになった後でも、ノンクリスチャンと同じような人間関係があるならば、救われた意味がない。
すぱっと切り捨てて新しい道をスタートさせる。
その集団を変えるなんてことは考えないほうがいい。
人間は、変わらない。
われわれが何をしたからといって、人の内面を変えることは絶対にできない。
もしかして主が変えてくださるかもしれない。
その場合は、感謝してとどまるべきだ。
しかし、頑固で、逆にこちらを攻めてきたら、もはやとどまる意味がない。
出るべきだ。
出ても心配はない。
また新しい道が開ける。
バビロンから出なさい。
アブラハムのように。
そして心から主に従うことができる道を歩もうではないか。
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2:
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2019/04/24 (Wed) 16:08:45
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