ミレニアム通信過去情報
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環境決定論を排除せよ
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1:tomi
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2012/02/22 (Wed) 17:08:21
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光の親子殺害事件で最高裁で死刑確定。
立派な判断だ。
被害者からすれば、成人に殺されようが、未成年に殺されようが関係ない。
法律は、被害者の利益を中心とすべきであって、国家や加害者を中心とすべきではない。
死刑廃止論は、間違った心理学の影響を受けている。
「刑罰には、受けた教育や育った環境を考慮すべきだ」と。
環境決定論なのだ。
「人間の問題は環境にある!」とは、アダムとエバの逃げ口上。
「わたしではなく、この女が私にくれたので食べたのです!」
「わたしではなく、この蛇が・・・」
「自分は悪くない!環境のせいだ!」
という言い訳は、人類と同じ長さの歴史がある。
心理学のカウンセリングがこの環境決定論に基づいて行われるときに、解決はまったくない。
「生い立ちを調べて、何が問題だったかを…」
罪を負わせる環境を探す旅を導くのがカウンセラー。
こんなカウンセリングを100年受けても絶対に治らない。
問題は、「的外れ」にある。
自分が狙っている的がそもそも間違っている。
環境に狙いを定めるのではなく、罪に定めなさいと聖書は語る。
「女が…」「蛇が…」ではなく、食べたのは自分なのだから「自分が悪かったです」と素直に謝るべき。
そういう素直さがないと、問題は永遠に拡大する。
そんな自己を中心に回す人間は、周囲を振り回すから、誰も周りに集まらない。
勉強が重要なのは、わがままを抑制する訓練をしてくれるからだ。
いくら自分に確信があっても、題意を読み取ることができなければ点を取ることはできない。
数学の問題は、必ずポイントがある。出題者はそのポイントを見抜くことができるかどうかを試す。
複雑な問題でも、いくつかのポイントを見抜けばとけるようになっている。
このポイント探しをせずに、自分の欲望のままに解答をしても、点は取れない。
だから、「読み解く」という作業が大切なのだ。
そのためには、自分の妄想を捨てて、客観的に相手と向き合う必要がある。
こういった「わがままを抑制する」訓練を積むかどうか。
翻訳の仕事で一番まずいのは、文脈から外れて自分の解釈を入れて読むこと。
助動詞のmayがある場合とない場合の使い分けは、「かもしれない」という可能性を示す言葉を入れるかどうか。
それを勝手にmayを訳さずに、断定で訳すと誤訳になる。
こういうミスを無数にする翻訳のチェックは無限の時間を要する。
優秀な翻訳者は、ほぼ直す手間がかからないので、非常に楽であるが、「読み込み」を行う翻訳者のチェックは大変だ。
いったん「相手の立場に立つ」こと。
これができなければ仕事というものはできない。
共産主義に近ければ近いほどわがままが通り、市場経済に近づけば近づくほどわがままは通用しない。
競争があるから。
環境決定論は「わがまま」を許容する心理学の手法であり、聖書の手法ではない。
「育った環境がこうだったから殺人を犯しました」は通用しない。
聖書の刑罰とは、あくまでも「罪に応じて」である。
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2:
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2019/04/24 (Wed) 16:04:00
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