ミレニアム通信過去情報
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聖書的キリスト教以外に神と科学を調和させることは不可能である
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1:tomi
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2012/02/25 (Sat) 11:01:49
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自然が究極であると考えると、もっとも恐ろしいのは、夢も希望もなくなることである。
今の学校教育で教えられているのは、「自然は究極である」という暗黙の前提である。
なぜならばすべての学問が神の存在を前提としていないからだ。
だから、「すべては自然の中で起きている」とし、何か超常的なことが起こると、「それはありえない」と切り捨てる。
「イエスは処女マリアより生まれた」というのは、「それは、ありえない」と切り捨てる。
「イエスは復活された」というと、「それは何かの見間違いか、作り話でしょう」と一蹴する。
「自然を超えたことは起きない」という前提だから。
じゃあ、そういう切り捨てをする人々が、人生を徹底してその前提で生きるかというと生きられない。
TVに出てくる唯物論者らしき人間たちは、宗教の話が出てくると、「それは迷信ですよ」と切り捨てるが、裏ではちゃっかり結婚式をキリスト教式で行ったり、葬式を仏教式で行う。
あの自然主義者ホーキンスは、結婚式を教会で行った。
立派に「自然を超えたことをやっている」。
どういうことかお分かりだろうか。
人間は、誰一人「自然がすべてだ」という教えではやっていけないのだ。
すべての人は、超自然を求める。
自分の子供が病気で死にそうになれば、神仏に祈るだろう。
こと自分の利益になると、前提を捨ててしまうのである。
だから、自然主義者は、生活を徹底できない。
この世を徹底して今の科学の前提で生活しようとしたら、その前提を裏切るしかないのだ。
だから、今の科学をそのままで受け入れてはならない。
今の科学の「自然は究極である」という前提で生きることができないのであれば、さらに高い科学観を持たねばならない。
生活と調和できるような科学観を。
神信仰と科学を調和できない限り、われわれは自分の前提と矛盾したことを続けるしかない。
「それでもいい。場合によって使いわければ」というのは、カルト信者の考えることだ。思考停止しているから。
まともな文明人は、首尾一貫した思想を求める。
正しい科学観はこれだ。
すなわち、「神は世界を無から創造され、この世界を法則に管理させた。だから、神にまで法則は適用できない。われわれは、法則を超えた神の力に頼ることが可能だ」である。
これで次の2つが調和できる。
1.世界を科学的に探究できる。
2.神に救いを求めることができる。
聖書的キリスト教以外に、神と科学を調和させることは不可能である。