ミレニアム通信過去情報
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捨てるべきものを捨てられない人は神の国(契約)と無縁である
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1:tomi
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2012/02/27 (Mon) 15:29:00
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教会の学生会に所属していた頃、青年会の人々が陰気に見えてしかたがなかった。
彼らが学生だったころのことを知っているので、なおさらだ。
大学の聖書研究会のころ、青春のページをともに描いた友人たちが、社会に出てそろって大きく変貌した。
「この人はこんな人じゃないはず」とずっと思ってきた。
個性がみんな消されている。
鋳型にはめられたような顔になっている。
これは、キリスト教についてもいえる。
今のキリスト教は、大体みんな同じ顔だ。
カルヴァン派とアルミニウス派との違いは非常に小さくなっている。
どうしてこんな現象が起きるのか?
「人を恐れているから」
これしかない。
社会に出てから顔が暗くなるのも、キリスト教にほとんど差がなくなるのも、全部人を恐れることからきている。
自営業の人は、比較的学生時代と変わらない。
自分で思い通りにできるからだろう。
経済的に会社を成立させるのは大変だが、しかし、組織に属しているときの個性を押し殺すプレッシャーからすると、私には耐えられる。
「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです」(ルカ9・24)
犠牲を払うことを厭うならば、犠牲を払わされてしまうのである。
いずれにしろ犠牲を払うことなしに生きられないのであれば、犠牲を進んでささげたほうがいい。
自分が神様の使命を第一として生きることによって、経済的に苦しくなり、それによって、奥さんがぎゃ~ぎゃ~言うようであれば、それは奥さんではない。
われわれに神は女性を「助け手」として与えてくださったのである。
神様の働きをする際に妨害するような人は、そもそも結婚すべきではなかったのだ。
だから、離婚しても差し支えない。
自分の子供が「家族を養うこともできないようなお父さんを軽蔑する」と言ってきたら、「衣食住と教育があればことたれりだ。それ以上の義務はない」と言え。
「それ以上のものがほしければ、バイトして稼ぎなさい」と。
他人の家と比較して文句を言うなら、そんな息子は息子ではない。
あなたは神の国のために身軽になりなさい。
「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失」うのだ。
あなたがどんなに頑張って、イエスのために働くことを犠牲にしてまで家族に奉仕しても、家族はあなたを捨てる。
奥さんに贅沢な宝石を与え、子供に高価なゲーム機を与えても、彼らは感謝もしない。
あなたは、最後に、家族に軽蔑されたまま裏切られてすべてを失って呆然とする。
「わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救う」
イエスのために自分の一切を捨てる人は、それを獲得する。
聖書に従う決意をして、教え通りに生活する中で人々が自分の周りから去っていったならば、それは、「もともと出会うべき人ではなかった」のであり、そういう人々に思いを入れてはならないのである。
これは、「選び」の問題であって、われわれの努力を超越した世界の出来事である。
100万回説得しても、選ばれていない人をイエス・キリストの信仰に導くことは不可能である。
しかし、選ばれている人は一言福音を聞いただけで回心する。
今の福音派や他のクリスチャンの教派から再建主義に至るには選びが必要であり、その際に、「ふるい分け」が行われる。
これはイエスが投じられる「火」であり、「家族の中が分裂する」。
「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。 今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。
父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります」(ルカ12・51-53)
真理こそが重要であり、その他は捨ててもいいものである。
捨ててよいものを捨てないと、結局、「捨てさせられてしまう」。
捨てるべき生ごみを捨てないでとっておくのが苦痛なように、捨てるべき人間関係を捨てないでおくのは地獄である。
「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません」(ルカ14・26、27、33)
捨てるべきものを捨てられない人は、神の国(契約)とは無縁である。
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2019/04/24 (Wed) 16:01:49
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