ミレニアム通信過去情報 1475470

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人は環境によらず自分の罪の責任を負う

1:tomi :

2012/03/01 (Thu) 15:23:19


クリスチャンとか牧師が不祥事を起こしたとする。

たとえば、ひき逃げ死亡事故とか。

ここで、「死んだ人は、地獄に行くのに、殺した運転手であるクリスチャンは天国に行くというのはおかしい」という議論があるが、対神関係と対人関係の問題を混同している。

(1)

1.神対人の関係

信仰を持ち、バプテスマを受けてクリスチャンになった人は、神に対する責任を帳消しにされる。なぜならば、キリストの贖いが適用されるから。

いくら事故の被害者でも神との関係で信仰を持っていなければ罪の贖いが適用されないので神に対する責任が残る。

2.人対人の関係

信仰を持っているからといって、対人で責任を背負ったら、それは免除されない。ひき逃げをしたら、その刑罰を負い、被害者に賠償する責任を負う。

聖書律法には、1と2のいずれも規定されている。

故意の殺人に対しては、死刑。

故意ではない殺人に対しては、贖い金で解決できた。

その他の犯罪については、同害刑法が適用される。

つまり、「目には目」。目を損なったら、目と同等のものを損なわれる。目に値する金で解決することもできた。

対人責任について、刑罰は、被害者が決定する。

被害者が目をやられた場合、目を損なうことを最高の刑罰として、それ以下の刑罰を選択する権利がある。

なかったことにすることもできる。

(2)
「罪の重さとしては相対的に低い対人責任が残るのに、対神責任はキリストによって解消されるというのはおかしい」という人がいるが、対神責任はキリストの贖い以外では償えないからだ。

どんなに努力しても、神に対する責任を人間は完全に果たすことはできない。だから、キリストにあって赦しを願うしかない。

対人責任に関しては、原則として法律もしくは示談で解決がつくので、果たすべき責任が残る。

(3)
「ローマ・カトリックやヨーロッパ列強が、キリスト教を信じながら、侵略を行って、現地人を虐殺し、それでも天国に行ける」というのはおかしい、という人がいる。

聖書では、はっきり規定しているが、「略奪を行う人は神の国を相続することはできない」。

侵略をする人々は、クリスチャンではない。契約から追い出される。

侵略をする人々を残す教会は、教会そのものが神から除名される。

たとえその人々が教会に残ることができたとしても、神の御手にある「命の書」から名前が消される。

(4)
被害者が純真無垢であるとは限らないので、被害者がどんなにひどい害を受けて死んだとしても、そのひどさが被害者の犯した罪を赦免することはない。

「この人はクリスチャンの無謀運転で殺されたのだから、クリスチャンが天国に行けるならば、被害者も天国に行けるのが当然ではないか。」というのは、問題の混同である。

極悪非道のことを繰り返してきた組長が、他の組員からいかにむごたらしい殺され方をしたからといって、その極悪非道の責任が帳消しにならないのと同様である。

人は、環境がどうであれ、自分が犯した罪の責任を問われる。

だから、キリストを信じない人は、自分の罪の責任を自分で払わねばならない。

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