ミレニアム通信過去情報
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神を試す者は、逆に神に試される
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1:tomi
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2012/03/11 (Sun) 06:36:24
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「祈った結果を追跡調査して、祈りに効果があるかどうか調べた」などという研究がある。
このような研究は無駄である。
なぜならば、祈りは、自然秩序を超えた領域だから。
自然秩序の範囲内のことであれば、科学的調査は適用できるが、自然を超えた事柄については適用できない。
たとえばこう考えるとわかりやすい。
ゲームにおいて、コンピュータを操作して、コンピュータ内の様々な人物(アバター)を動かすとする。この人物を通じてコンピュータ内の環境を操作できると。
しかし、この人物は、操作者をであるわれわれを動かすことはできない。
われわれは、このアバターにとっては、超越者である。
われわれは、コンピュータ内の環境に支配されない。
われわれは都合によって、このコンピュータ内のある環境をゴミ箱に捨てて、全部真っ白にすることができる。
これと同じように、神はわれわれの世界の法則にはまったく支配されない。
われわれが祈るときに、われわれの祈りは、この世界の法則を超越している神に届き、神が、その祈りに応えて、この世界の法則を超越して、様々な事物に働きかけられる。
だから、祈りに関して何らかの法則を発見したり、適用することは不可能なのである。
「神を証明する」などということも不可能である。
神は法則に左右されないので、「Aという条件があれば、必ずBという結果が出る」というようなシステムの中では生きておられない。
われわれにとって、神の働きは、「常に」なぞである。
たとえ聖書が記している因果律があったとしても。
「善を行えば、祝福が、悪を行えば、呪いが」という法則があったとしても、それが、必ず100%、一定の規則にしたがって一定の時期に成就するとは限らない。
神は主権者であり、超越者なので、人間の思惑の一切を超越しておられるので、
「御霊は思いのままに吹く」とあるとおりである。
われわれが生活するこの自然世界は、空間と時間を基本軸として成立している。
しかし、神はそれを超越しておられるので、その自然法則に支配されず、それゆえわれわれにとっては「気まぐれ」に見える。
この気まぐれこそが、超越者の証拠である。
だから、研究者が試験管の中に神を入れても、そこには、神は入られない。
人間が神を試すなどということは絶対に不可能である。
オーディションの会場に神が来るのを待っていても、現れない。
「私の会場におまえが来い」と言われる。
どちらが主なのか?
創造者なる神が主である。
だから、神をオーディションで評価しようとしても、無駄である。
神を知る唯一の方法は、「へりくだる」ことである。
神を主権者として認めない限り、神を知ることは不可能である。
神をオーディションの会場に呼び出して踊ったり歌ったりさせようとしても絶対にできない。逆に、自分が無理やり、オーディションの会場に引っ張り出されて踊ったり歌ったりさせられるだろう。
神を試す者は、逆に神に試されるのである。
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2:
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2019/04/24 (Wed) 15:54:20
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